毎朝の日課《介護課から》

起床のお時間になると入居者様の中で人気となる場所があります。

 

それは………

 

施設内、廊下の一番東側に位置するガラスドア前です ‼

 

ご年配の方のなかには朝太陽に向かって手を合わせる習慣があります。

『何をお願いしているんですか?』とおバカな質問をしたことがありましたが、返ってきた言葉は『ありがとう、ただそれだけだよ。』の一言。

朝起きて朝日に向かい日頃の感謝を伝える、それが日課となっています。

コレ、絶対気持ちいいですよね ‼(←単純 ⁉ 笑)

日々、入居者様からすると何気ない行動やお話ですが、間近で見たり聞いたりすることで心に刺さる事が沢山あります。

私、人生の大先輩のお話をもっと聞いてみようと思います。

そして良いなと思ったことはドンドン真似してみようと思います!

敬老の日に寄せて~昔語り

昨年来、新型コロナ感染症予防の見地から、ご利用者さまとご家族のオンライン面会を実施しており、日々そのお手伝いをさせていただいております。ご利用者さまがご家族にご自身の「思い出」をお話になるお姿は、とても楽しそうに見えます。

当施設のご利用者さまの中には80歳を越えていらっしゃる方もたくさんおられます。今年2021年は終戦から76年目。かつて歴史の授業で「知識」として習った戦争をその身で体験なさった方々が、自分の身近におられるのだと気が付いたとき、ご利用者さまお一人お一人の「思い出」が「歴史」として紡がれていることに、しみじみと感動いたしました。50歳を越えた自分が、たとえば30年前の出来事であってもその実感を伴って思い出すことを考えれば、ご利用者さまも、ご自身の「思い出」をご自身の生きた人生として、大切にご家族に語っておられるのだと思います。

 

ところで、日本の古典文学の中に「歴史物語」というジャンルがあり、その代表的な作品に「大鏡」と呼ばれる物語があります。平安時代のはじめ(「鳴くよ鶯平安京」なんて年代語呂合わせを覚えた方もいらっしゃいますよね?)から同時代の有力貴族藤原道長の権勢盛んな時代(だいたい西暦1000年ごろ)までの貴族社会のさまざまな出来事を綴った作品です。この作品に限らず、「歴史物語」の中には題名に『鏡』を冠するものがいくつかあります(「ダイコンミズマシ」といった語呂でその作品群を覚えた方もおられるのではないでしょうか)が、この意味は、これらの作品を読むと読者の知らない「歴史」を見てとることができる、いわば「昔を映し出す鏡」ということのようです。そういえば、少し前にヒットした「ハリーポッター」というシリーズものの洋画の一場面で、主人公の少年が通う魔法学校の校長先生が、水を張った盆を鏡のようにして自身の記憶を映し出すシーンがありました。自分の知らない「歴史」を目の当たりにしたいという思いは、洋の東西を問わず、人間の基本的な欲求なのかもしれません。

ただ、この「大鏡」の魅力は、「歴史」を見てとるということだけにはとどまりません。この作品は、190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹という二人の超高齢者がある寺の説法会で出会い、交わし始めた思い出話=「昔語り」を、物語の作者が聞き取るという体裁になっています。また、二人の老人の会話のやりとりに、時に30歳ぐらいの侍が割って入って、話題の出来事の裏事情を問いかけ、それに二大長老が答えるといった場面もあります。つまり、二大長老が自身の人生で直接見聞きした経験を語り伝えているわけで、読者には、単なる過去の知識ということ以上に、現実味を伴って受け取ることができるしかけになっています。教科書を読むように一方通行的に知識を受け取るのとは異なり、出来事に関わる一人一人の人間の人生が紡がれて、生きた「歴史」が出来上がっていく様子を感じ取ることができるところに、この「大鏡」という作品の魅力があると、私は思います。

 

さて、この「昔語り」は、実は現代にもいたるところにあります。オンライン面会も含めて、当施設のご利用者が日々ご家族や私たち職員に語り掛けてくださる様々な「思い出」のお話が、まさにそれです。こういったお話=「昔語り」を聞かせていただく中で、ご利用者の方々お一人お一人が生きてこられた時間に思いを馳せ、自分の人生の時間を重ね合わると、今この瞬間にも「歴史」が、生き生きと紡がれていることを実感します。生きた方々の体験の分だけさまざまな人生があり、その数が多いほど人の世が豊かであることの証になる……ご高齢の方々を敬うべき根拠もここにあると思います。

昨年から続く新型コロナの世界的な流行も、いずれ歴史の教科書に数行にまとめられて記載されることでしょう。巷で簡単に語られてきた様々な歴史的な「知識」と同じです。しかし、そんな「知識」一つ一つの深層には、その時に生きた人間の一人一人の人生の豊かな時間があるわけです。ご利用者お一人お一人の「昔語り」をお聞かせいただくことは、その豊かさに触れることです。こういったことも高齢者介護施設で働くことの魅力の一つなのではないでしょうか。(鴨脚浮瀬)

機能訓練の紹介《デイサービス》

デイサービスでは利用者様の身体機能に合わせた個別訓練や、全員で行なう集団体操を行っています。

個別訓練では歩行器や平行棒での歩行訓練、足・体幹の筋力トレーニングや関節の動きを維持・拡大する可動域訓練等を行っています。

また集団体操では肩や腕・体幹から足までの全身体操や脳トレ・お食事前の口腔体操を行っています。

個別訓練はご希望やご意見を伺い、ご利用者様に寄り添ったリハビリを行っています。また皆様の在宅生活が維持できるよう、身体機能の維持・向上に努めています。


「かくれ脱水=熱中症」に注意

連日、猛暑日が続いていますが、施設内では室温:26~27℃・湿度:50~60%と快適な環境下でご利用者様は過ごされています。

一見、熱中症とは無縁の様な状況下に思えますが 実はここに大きな落とし穴があるのです!

高齢者の方は、「喉が渇く」という自覚が出にくいことや、自ら積極的に水分を摂ることが少なくなってきます。そして、尿の排泄を促す薬を服用していることも脱水に陥りやすい原因の一つになっています。

毎食時と10時・15時に、お茶の提供(200ml)をしていますが、中々お茶の進みが悪い時があります。その様な時は、ドリンクサーバーでお好きなジュースを選び飲んで頂いています。
また嚥下障害の方にもトロミ剤を使用し飲みやすい状態に調整したり、テレビでおなじみの「OS-1ゼリー」の準備もしてありますので、必要時は提供して熱中症対策に努めています。

デイサービスでのミニ講座

今日は昼食前に「熱中症と食事について」のお話をしました。暑くなるこの季節、食事の中にも水分が含まれていることから、水分を飲むだけではなくしっかり食事も食べること、またバランスの良い食事とは何か?ということでホワイトボートを使いながら説明をしました。クイズ形式で答えていただく場面がありましたが、皆さん声を出してしっかり答えて下さりまた、また説明にもうなずきながらしっかり聞いてくださっていました。
また、今日のおやつは「金魚ゼリー」。金魚が水の中を泳いでいるようで涼しさを感じるゼリーでした。
まだまだ暑い日が続きますが、水分補給と食事もしっかり食べて、元気に過ごし夏を乗り切りましょう。


「南十字星の見える海」

「南十字星の見える海」
田村銀治著   1990年刊 大正10年5月20日 生まれ
戦争史に記したように満州事変に始まり、太平洋戦争で敗戦に至るまで永年に渡る戦争で、国力の消耗、生活必需物資は極度に乏しく国民生活全てが荒廃し、食料不足で飢えで亡くなる人も多かった。アメリカの総攻撃により本土が激しい空襲、特に東京都や主要都市は焦土と化し、多くの国民の生命が奪われた。出征した多くの兵士も戦死したが同時に国内の老若男女に多くの犠牲者が出た。利用者のみなさま戦中・戦後を過ごされ家族や友人を亡くされたり図りしれない苦労をされたこと、この本はみなさまの平和を祈願し子供たちの未来が平和でありますように!を願う書として紹介させていただきます。

戦争史
1931年:満州事変
1937年:日中戦争(盧溝橋事件)
1939年:ノモンハン事件 第二次世界大戦開戦
1941年:太平洋戦争
1942年:ミッドウェー海戦
1945年:敗戦
敗戦に至るまでの経過
3月10日:東京大空襲
4月1日:米軍沖縄本島に上陸開始
8月6日:広島に原爆投下
8月9日:長崎に原爆投下
8月15日:日本敗戦

著者は昭和15年から昭和21年まで南方各地に転戦し、終戦後シンガポールより復員、敗戦時陸軍伍長在籍6年

著者は6年の間兵隊として南方各地を転戦し戦いの日々の苦しみ恐怖を体感したしたが、著者が記しているように、内地(日本本土)にいる人たちのほうがもっと大きな犠牲を払い、苦しい生活を強いられてきた。利用者の皆様、戦地に赴いた方もおられると思いますが、戦中戦後の生活の大変さを想い、平和を願う体験記を紹介させていただきます。

昭和15年12月14日出征、歩兵連隊に所属、昭和16年4月1日船舶高射砲兵、昭和17年8月3日船舶砲兵となり南方各地を転戦する。南方の戦場に兵員や物資を輸送する仕事である。昭和18年初めまでは何とか無事に航海できたが、それ以降は護衛艦が付くようになり、戦局は一転して敗戦へ向かう。昭和19年に入ると潜水艦と航空機からの攻撃が激化し所有する輸送船もなくなり戦意を失う。著者も激しい攻撃を何回も受け、海にほうりだされた。それでも仲間と共に助かり、生きていることの大切さを知ったとのことでした。昭和20年に連隊解散、比島にて陸上戦に参加2000名の兵士のほとんどが戦死、莫大な犠牲を出す。レイテ島輸送を最後に船舶は壊滅。シンガポール→内地は船舶航行不能、輸送は打ち切り、船舶はほとんどなく、長く悲惨な戦争は多大な犠牲を払い終わった。
昭和21年6月名古屋港に帰還したあと、自分の記憶をたどり記録したものを(港に着いたときは、記録物は全部没収された)父の平和への願いの記録として父娘で出版しました。