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「南十字星の見える海」

2021.08.06   ブログ

「南十字星の見える海」
田村銀治著   1990年刊 大正10年5月20日 生まれ
戦争史に記したように満州事変に始まり、太平洋戦争で敗戦に至るまで永年に渡る戦争で、国力の消耗、生活必需物資は極度に乏しく国民生活全てが荒廃し、食料不足で飢えで亡くなる人も多かった。アメリカの総攻撃により本土が激しい空襲、特に東京都や主要都市は焦土と化し、多くの国民の生命が奪われた。出征した多くの兵士も戦死したが同時に国内の老若男女に多くの犠牲者が出た。利用者のみなさま戦中・戦後を過ごされ家族や友人を亡くされたり図りしれない苦労をされたこと、この本はみなさまの平和を祈願し子供たちの未来が平和でありますように!を願う書として紹介させていただきます。

戦争史
1931年:満州事変
1937年:日中戦争(盧溝橋事件)
1939年:ノモンハン事件 第二次世界大戦開戦
1941年:太平洋戦争
1942年:ミッドウェー海戦
1945年:敗戦
敗戦に至るまでの経過
3月10日:東京大空襲
4月1日:米軍沖縄本島に上陸開始
8月6日:広島に原爆投下
8月9日:長崎に原爆投下
8月15日:日本敗戦

著者は昭和15年から昭和21年まで南方各地に転戦し、終戦後シンガポールより復員、敗戦時陸軍伍長在籍6年

著者は6年の間兵隊として南方各地を転戦し戦いの日々の苦しみ恐怖を体感したしたが、著者が記しているように、内地(日本本土)にいる人たちのほうがもっと大きな犠牲を払い、苦しい生活を強いられてきた。利用者の皆様、戦地に赴いた方もおられると思いますが、戦中戦後の生活の大変さを想い、平和を願う体験記を紹介させていただきます。

昭和15年12月14日出征、歩兵連隊に所属、昭和16年4月1日船舶高射砲兵、昭和17年8月3日船舶砲兵となり南方各地を転戦する。南方の戦場に兵員や物資を輸送する仕事である。昭和18年初めまでは何とか無事に航海できたが、それ以降は護衛艦が付くようになり、戦局は一転して敗戦へ向かう。昭和19年に入ると潜水艦と航空機からの攻撃が激化し所有する輸送船もなくなり戦意を失う。著者も激しい攻撃を何回も受け、海にほうりだされた。それでも仲間と共に助かり、生きていることの大切さを知ったとのことでした。昭和20年に連隊解散、比島にて陸上戦に参加2000名の兵士のほとんどが戦死、莫大な犠牲を出す。レイテ島輸送を最後に船舶は壊滅。シンガポール→内地は船舶航行不能、輸送は打ち切り、船舶はほとんどなく、長く悲惨な戦争は多大な犠牲を払い終わった。
昭和21年6月名古屋港に帰還したあと、自分の記憶をたどり記録したものを(港に着いたときは、記録物は全部没収された)父の平和への願いの記録として父娘で出版しました。